池田屋
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中村屋_ハルばあちゃん池田屋の原点


 池田屋ちゃんぽんの味の歴史は古く、そのルーツは、佐賀大学前で64年間の永きに亘り、名物ちゃんぽんの店として親しまれてきた「中村食堂」の味と伝統を受け継いでいます。長崎のものとはまた違い、佐賀で生まれた独特のちゃんぽんなのです。

 

二代目は赤の他人


 お店を始めた頃、「池田屋さんは、中村食堂のお孫さんか何かなの?」とお客さんから尋ねられることが度々ありました。…いえいえ、まったくの他人なのです。 ただ、池田屋店主である池田ノブヒロは、高校生の頃から中村ちゃんぽんの味に魅了され、足繁く通いつめた熱烈なファンの一人だったというだけで…。
 あとでおばあちゃん本人から聞いた話では、中村食堂閉店の噂を聞きつけて「ちゃんぽんの味を伝授してほしい」と熱心に頼みに来る人が何人もいらしたそうです。
 ところがどうしたことか!おばあちゃんは、当時まったく畑違いの仕事をしていた常連客ノブヒロ(池田屋店主)に冗談みたいな問いかけをされたのです。
それは、ちょうど中村食堂が閉店した日から遡ること約一年前のことでした。

ハルばあちゃん

「池田君、あんた、ちゃんぽん屋にならんかい?」:佐賀弁

(池田君、あんた、ちゃんぽん屋になってみる?):標準語

ノブヒロ

『へっ!おいが?!』:佐賀弁

(えっ!俺が?!):標準語

ハルばあちゃん

「あたいが、ちゃぁんと おしゆっけん」:佐賀弁

(私がしっかり教えてあげるから):標準語

ノブヒロ

おいが、しきる分けなかろーもん(笑) 包丁でん、にぎったことなかとに!』:佐賀弁

(俺に出来るわけがないでしょーが(笑) 包丁すら、握ったこともないのに!):標準語

 最初、冗談だと思われたこの言葉が本気モード全開だということがわかり真剣に考えはじめるノブヒロ…単純!
『ここのちゃんぽん、食べられなくなると一番困るのって…この俺やん!』
一同『………』唖然。
 おばあちゃんの一言がちゃんぽん屋さんになる事を決意させたのです。
 ホント人生ってわかんないもんだなぁとつくづく思います。

 

ノブヒロ特訓の日々


 決心したのち、とりあえず仕事は続けつつ夕方からは中村食堂に通う日々を続ける。包丁すら満足に使えなかったわけですから、そのうち無理って悟るかも…。が、しかし1990年3月31日中村食堂閉店の日お客さんでごった返す店内。
 池田ノブヒロは…ハルばあちゃんのアシスタントやってました!
 翌日、4月1日付けの佐賀新聞に『チャンポンばあちゃん店じまい』の記事が大きく掲載され現実味が佩びはじめる…。
 おばあちゃんは、店の備品はもちろん「中村食堂の名前も暖簾もそのまま使ってよかばい」と言ってくれたけど、あえて池田屋と屋号を決め小さい店舗ながらも開店へ向けての準備がすすんでいくのでした。
ちょっとづつ緊張感が…。

 

ガクガクブルブル・・・恐怖 運命の開店・・・回想


 ついに来ました!来てしまいました!!
 1990年5月14日 池田屋開店の日が!!!
ハルばあちゃんはもちろん、娘さん達もお手伝いに来てくださりなんと心強かったことか!
 でも、この数日間が過ぎれば私たち未熟者2名だけで…当たり前のことですが不安。恐ろしく不安…。
(お客さんは来てくれるのか?)
(ほんとに商売やってけるのか?)
 いろんな不安感に襲われつつもおかげさまでたくさんの人たちに支えられ二人ともどうにか笑顔で初日を無事終えました。
 緊張と不安と覚悟と そして たくさんの感謝といろんなことが複雑に入り混じって涙が暫くとまりませんでした!
 今から想像つかないでしょ…。
 もう18年が経とうとしています。
 「今後もこの歴史を重ねていけたら…」と
 一日一日を真摯な気持ちで積み上げて行きたいと思っております。
 ちなみに、定休日以外 ほとんど毎日 ちゃんぽんを食べ続てます(笑)
作り手自身が、このちゃんぽんを愛してやまないのですから…(妻 あき子談)